今日は6年生が調布市のゆりーと杯決勝トーナメントでFC深大寺に勝利、4・5年生は東八王子FC、3年生は若葉SC、2年生は太子堂SCと練習試合でした。さて、2021年に上梓した「サッカーピラミッドの底辺から」(道和書院)では、サッカーコーチの暮らしについて書いていますが、最近、スポーツ指導者の「労働」について検討しています。マルクスの「構想」と「実行」を参考に色々考えていますが、スポーツを指導するということは、まさしく「構想」と「実行」が一体化した労働だと言えます。簡単に言うと、自分の意思で働き方や働く中身を決定できるということです。しかも、自分の好きなことに対して。近代以前の農業社会では、働くことは生きること(生存)でした。好き嫌いは関係なく。現代では色んな職業を選択することができます。生活(お金)のために働いている人も多くいます。この前見たドラマ(アンナチュラル)で、「労働って罪なんだって。 人はみな罪人で、罪を贖うために働いているって。 だから、1分でも早く仕事を終わらせて、家に帰る」というセリフがありました。面白いなあと思いました。もちろん、多くの人たちがこういう風に考えているとは決して思いませんが、このセリフから改めてスポーツ指導者の労働について考えさせられました。好きなことを仕事にできるということは、とても素晴らしいことです。しかし、好きなことをやっているのだから、社会的・経済的に低く見積もられても良いということではありません。スポーツ指導者の労働について世の中の理解が進めば良いなあと思います。