今日は4年生の練習試合が中止になり、全学年オフとなりました。天気は良くないですが、家族団らんや休養でオフの時間を楽しんでもらいたいですね。さて、先週、調査研究の一環で大分県日田市中津江村に行ってきました。もう覚えている方も少なくなったと思いますが、2002年の日韓W杯でカメルーンのキャンプ地となり、一躍有名になった村です。その後10年経過した2012年に、W杯のレガシーに関する現地調査に取り組んだことがあります。さらにその10年後の現在、村がどうなっているか現地視察に行ってきました。村の最奥部にある鯛生地区には、以前、東洋一の産出量を誇った鯛生金山(跡)があり、当時は5000人近くの人が住み、学校やスーパーだけでなく、映画館やキャバレーもあったそうです(軍艦島と同じですね)。しかし、現在、村の人口は600人程度、平均年齢も約64歳と、過疎・高齢の典型的地域となっています。2012年の調査時に「頼母子講」に参加したことがあります。「タノモシコウ」と呼びますが、ご存じの方は少ないのではないでしょうか。村の仲間(グループ)で、毎月お金を出し合い必要な時(大きな買い物や学費など)に全員分のお金を受け取る銀行のような機能を持った集まりです。このやり方は、講の種類(グループの特性)によって異なりますが、私が参加させてもらった頼母子講では、くじを引いて当たった人が先に受け取ることになるのですが、そのあと全員がもらうまで「利子」を払い続けなければならない仕組みになっていました(したがって、最後に受け取る人が多くなります)。講が行われるときは、お金のやり取りだけでなく、酒盛りやゲートボールもセットで行われていました。このような「濃い」関係性があったからこそ、あのカメルーンの‟盛り上がり“があったのではないかと思います。さて、10年前では存続していた「頼母子講」(‟濃い関係性”)、果たして今はどうなっているのでしょう。再調査やろうと思っています。