昨日は、3年生が愛宕FC、4年生が浜田山JSC、6年生が本町田FCと練習試合。今日は、5年生が府中グリーンファイターズと練習試合でした。寒かったです。これが最後の寒波ならいいのですが。さて、先日、調布市のコミュニティ・スクールとやらの会議(研修)に参加しました。来年度から、ある小学校の学校運営協議会委員になるのでその研修です(DUROの保護者もいらしてびっくり)。文字通り、学校の運営に関わる事柄を議論する組織ですが、学校運営の目標や評価、教員配置などについても検討します。その中で、話題になったのが、学校と保護者の役割分担について。古くからある課題ですが、その中身は時代とともに変化しています。例えば、挨拶。朝の挨拶運動などどこの学校でも取り組んでいます。確かに、子ども達の元気な挨拶は気持ちの良いものです。しかし、その感覚は大人や地域にとってのものではないでしょうか。そもそも挨拶をしない大人が増えています。地域の繋がりが強い時代であれば、挨拶は当たり前。何なら直ぐに立ち話が始まります。今の時代、挨拶は教えるもの、教えられるものになってしまい、礼儀やマナーとして捉えられます。もちろん大事なことですが、コミュニケーションの一つとして捉えることも大事な気がします。人それぞれの表現があり、挨拶する側される側の関係性も反映されるのではないかと思います。学校は、学力向上だけでなく、人間的な成長を促す場ですから、挨拶をはじめ生活面の指導も不可欠です。しかし、どこまで踏み込んで指導するのかは難しい課題です。今回のコミュニティスクールの取り組みは、そのような課題に対して、できる限り家庭(地域)と学校の風通しを良くしようというものだと思います。でもよく考えてみると、そもそも学校と地域は一体化していたように思います(少なくとも、私の小学生時代は)。それが今は、一部の熱心な保護者や地域の人だけが学校との繋がりが強いように思います。コミュニティスクールも、そういう人たちだけで運営してもあまり効果的ではないでしょうね。